物腰柔らかで、お客さまから信頼を寄せられる杉原。
『笑顔で感謝の想いを持つ』これが私の指針です。
なぜ、このような想いを、指針にしているかと言いますと・・・
心の熱い人達と仕事がしたい
私の保険業との出会いは、2000年5月に前職から保険会社の研修生に転職したことでした。
- 個人営業は、はじめて
- 保険業も、はじめて
という、右も左もわからない状態で、スタートをしたのを思い出します。
そして3年2か月後、無事に研修期間を終え保険代理店として独立しました。
それから数ヶ月後、ある勉強会で、弊社代表、青地より、「保険業界を変えていく仲間を探している。一緒にやらないか?」という突然のお誘いがありました。
「独立をしたばかり。でも、心の熱い人達と仕事がしたい。」
そのような想いのもと、ウィズに入社することを決めました。
『笑顔で感謝の想いを持つ』
なぜ、私が『笑顔で感謝の想いを持つ』ということを指針に掲げているかと言いますと、母親、姉への感謝の気持ちが足りなかったからです。
私の母親は、私が小学校の時から体が弱く、幾度も入退院を繰り返していました。
母親の看病は、姉任せ、私は母親から逃げるように、10代、20代と好き勝手なことをしていたのです。
しかし、姉は、このような身勝手な私に、文句も言わずに、ずっと看病をしてくれていたのでした。
歳が離れていたので、高校卒業まで母親代わりも務めてくれていました。
大好きな姉が私に教えてくれたこと
それが当たり前になった、30歳の春。
一本の電話が鳴るのです。
『リリリリンッ、リリリリンッ』
出てみると、母親からの連絡でした。
「お姉ちゃん、亡くなった。」
覚悟はしていましたが、あまりにも悲しい連絡でした。
優しかった姉は・がんで還らぬ人となってしまったのです。
前日に面会した時の「奇跡を起こせんかった。ごめんね。」が姉の最期の言葉になりました。
サポートしてくれる人がいるから生きていける。
私は、これまでの至らなかった自分を責めました。
- なぜ、こんなに優しい姉が亡くなってしまうのか?
- なぜ、母親は・長年病気で自分が一番つらいのに、笑顔で私のことを気遣ってくれるのか?
- なぜ、父親は・あんなにも働きづめだったのか?
自分を責めると共に、家族に対して、感謝の想いが湧いてきました。
このつらい時期があったからこそ、『笑顔で感謝の気持ちを持つ』ということを私の行動指針にしました。
サポートしてくれる人がいるから生きていける。
人には優しく、笑顔で感謝の気持ちを忘れずに、行動していきます。